あけましておめでとうございます。みずがきひろみです。
今年もどうぞよろしくお願いします。
年末・年始にかけて私の心を捉えたのは「選択すること」の奥深さでした。新年が新月で始まったからか、何かを始めるには絶好のタイミングと占いが励ましてくれることもあって、「選択すること」の素晴らしさに心がジーンとするお話をいくつも聞きました。
と同時に「選べない」ことが、すなわち「選択しない」という選択をしていることになるという厳しさも感じました。
私たちは、そうしたいかどうかにかかわらず、毎日、毎日、たくさんの選択を繰り返しているんですよね。朝、目覚まし時計を止めるかどうかに始まり、どんな服を着るか、何をいつ食べるか、どう時間を使うかなど、全く「選択している」自覚すらない選択をたくさん積み上げて1日が終わります。なんとなく1日終わっちゃった、なんて日ですら、無自覚にそのように時間を使う、という選択をしていることになります。
例えば夫に「離婚して欲しい」と言われながらも離婚を決断できずに悶々と暮らしていたとします。「幸せになりたい」気持ちと夫との関係性を諦めたくない気持ちの板挟みでそうでなくても苦しいのに、さらに「選択できない」自分を責めてしまうというお話をよく聞きます。確かに主体的には選択していませんが、「行動を起こさない」ことですでに「少なくとも今日は別れない」ことを選択していますよね。
「動かない」ということはそれ自体が「選択」です。それは、「まだ迷いたい」かもしれないし、「感じたい(考えたい)ことがある」かもしれないし、「言いたいことがある」のか「何かを待っている」のかもしれません。「動かない」ことで自分を責めるよりも、そのことで何を得たいと思っているのか、もっと大事にしたい気持ちがあるのかもしれないという目で自分の心を受け止めればいいのではないでしょうか。
昨日までの「選択」の積み上げが今日の自分を作っているとしたら、いつでも「今日」がこれからの人生の出発点。
今日、あなたが心をかけたものが明日のあなたを作るとしたら、あなたはどんな「気持ち」を選択したいですか?どんな「考え方」を選択したいですか?どんな「態度」、どんな「ふるまい」、どんな「行動」を選択したいですか?
昨日までどんな「選択」をしたかは関係ありません。もちろん、しばらくは過去の自分の選択の影響下にありますから、大きな路線変更を選択したとしても、何もかもが一朝一夕には変わらないかもしれません。
例えば、不運が重なって被害者意識で自分のマインドががんじがらめになっていたとします。私はもう二度と傷つきたくないから自分を守っているだけなのですが、相手、仮にパートナーとしますね、を信頼しきれないばかりに、目つきは「あなたは私のことを責めるでしょう?」という怒りを帯び、身体はどことなく相手と距離をとるように反り、警戒心でいっぱいのオーラを発していたとしたら、彼にしてみれば「僕はそんなひどい男か?」と理解されていない気持ちになるでしょう。
あなたは「わかってもらえていない」という気持ちでいっぱいですが、そんなあなたの姿が相手の中にも「わかってもらえていない」という気持ちを抱かせてしまいます。被害者であり続けることが、そんなつもりはないのに相手を加害者にしてしまう。加害者になりたい人はあまりいませんから、相手は「加害者にされてしまった」と傷つき、相手も被害者のように感じて引きこもりたくなります。あなたは、本当は「わかってほしい」と思っているだけなのに、二人ともが同じように「わかってもらえない」と引きこもり、ますます距離ができてしまいます。
ここで大事なのは、どちらかが被害者でも加害者でもない「無害者」になるという選択をすることです。それは、傷ついた自分を自ら労り、そうなってしまったことを許した上でもう一度相手との関係性をどうしたいのか再度選択するプロセスをたどります。
「無害者」になるという選択は、自分が人生から引きこもらない、フラットな気持ちでもう一度自分の人生を選び直すということにほかなりません。今度こそ楽しく幸せに生きることを選択します。楽しく幸せに生きるとしたら、今、パートナーにどんな態度で接したいですか?どんな言葉をかけたいですか?どんな自分でありたいですか?
そんな自分の気持ちを最優先してあげること。
今日、あなたが大事にした気持ちが明日のあなたを作ります。それは遅々とした歩みのように感じられるかもしれませんが、半年、1年で確実に何かが変わってきます。そう、毎日ちょっと走る、そんな習慣が3ヶ月もすると身体を変えてくれるように、心の習慣が変われば人生も変わります。
皆さまが、今日、本当に大事にしたい気持ちを優先できますように祈っています。
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毎日が人生の出発点〜今日あなたは何を大事にしますか?〜
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