2週に1回、近藤あきとしカウンセラーと一緒に記事を担当しております、小川のりこでございます。
ようこそお越しくださいました(((o(*゚▽゚*)o)))
そしていつも応援して下さってありがとうございます。
コロナ感染の収拾に従って、生活は通常に戻りつつありますが、だからといって、まだ油断できませんね。
今まで通りマスクや消毒を守りながらも楽しみや喜びに目を向けていきたいと思います。
お知らせ①
11月25日(木) 19:00-20:50
劇場型 恋愛講座
『男性の恋愛(その傾向と対策)』
に、参加して下さいました皆様。
本当にわざわざありがとうございます♪
自分に対する信頼感。
これを多くの皆様に伝えていてもそれは本当に難しいものですね。
実際には私は毎回自分にも言い聞かせている言葉のように思います。
講座が決まった日から落ち着かず、昨夜までずっと原稿を直し続けるというビビり方。
直前まで手が震えて心臓がばくばくするという・・・(~_~;)。
それでも講座内容に関しては、自分自身が努力して得て来た経験と知識。そしてどん底だと思っていた人生から楽に生きれるようになった実績によるものだから、ここには嘘偽りはなく、堂々と皆様にお話しは出来たと思います。
結局私は伝えたいんですよね。
真実は優しいんだということを。
自分が超えて来たからなおさらかもしれません。
皆さん、2時間という長い時間、聴いてくださって、本当にありがとうございました。
お疲れ様でした(*´▽`*)
お知らせ③
緊急事態宣言は解除されました。多くの方がワクチンを接種されたと思います。ウイルスもなんだか少なくなってきたような気もしますね。我が社も解除に伴い11月より対面面談をいたします。
長く待って下さった方、ありがとうございます。
久しぶりにお会いできること、本当に楽しみにしています♪
(対面では、今までのように飲み物をお出しすることは出来ません(-_-;)。
なるべく水分のご用意をして下さいね。
充分注意してお越しくださいませ。)
ZOOMによる面談カウンセリングの詳細はこちらです
https://www.counselingservice.jp/information/interview_zoom/
親を許す難しさとその先の恩恵
(アルコール依存症の父を理解して…)
親を許すこと。
親を理解すること。
両親と向き合っていくこと。
心理学を少しでもお勉強された方は、多くの方が一度はどこかで聞いたことかもしれませんが、私たちが、
人間関係で悩んだ時。
恋愛関係で悩んだ時。
多かれ少なれ、自分の幼い頃の環境が影響しています。
その幼い頃の環境とは、
両親との関り。
地域性。
きょうだいのあるなし。
親族関係。
などのことですが、どれもすべて本人には選択できるものではありません。だけどそれらの環境下については、
両親が悪い、生まれた場所が悪い、きょうだいが居たから居ないから、親族が悪いから・・・。
というものではありません。
ただ、私たち人が幼い頃というのは、まだ脳内は真っ白で何の知識も情報もありません。そこに、ただ見たまま感じたままのことが、情報や知識、そして記憶になって真実となってしまうんですよね。
この頃はほとんど本能と感情で生きています。
理屈や理論を教えても分かるわけがありません。
ただ、親が真剣に愛情持って伝えると、理屈は分からないけれど、真面目に一生懸命に自分のことを考えて言ってくれているんだな・・・という、
愛情
は伝わるんですよね。
でも親や周りに痛みがあって、その痛みで子どもを見てしまうと、その痛みを守ることに一生懸命になって、子ども自身の可能性を信じられなくなってしまいます。
そんなときの親の表情って、硬いか苦しそうか辛そうなんです。
それを子どもであった私たちは、自分のせいにしちゃうことが圧倒的です。苦しむ親のために頑張っても限界があるから。助けたいのに笑顔にしてあげたいのに、何にも出来ないって余計にね。
おじいちゃん、おばあちゃん、お母さんお父さん。そして私たちもみんなそうやって、幼少のころから大きなの愛情と優しい気持ちをたくさん、持って生まれて来たの。
親を理解するって、自分も含めて人を理解することかもしれません。
でも私はそれに気づくには時間がかかりました。
父が憎すぎて・・・。でもその父が亡くなったずっと後に受け続けたカウンセリング中には罪悪感が凄すぎて、父も憎いけど自分も憎くて、そこから出るのは難しかったです。
でもそこからようやく這い出して、男性や人の優しさを思い知ったから、私は今ここにいるんですよね。
当時のカウンセラーさんたちと自分自身の努力もありましたが、私の場合は私に関わってくれた皆さんにもかなり救われたんです。
私のカウンセラー人生はある意味恩返しかもしれません♪
今日はそんな、難しい話題。
親を許すことを、自分の体験で話していきたいと思います。
憎くてたまらなかった父親
「お前が死んだらせいせいするわ。一刻も早く死んでくれ!」
えげつないセリフですよね。
当時私が父に向って放った言葉です。
もうとにかく父が憎くてね。
ずっと暴力がすごくて、その暴力は中学高校になって、私が成長していく過程でどんどん酷くなっていきました。
幼い頃はただただ怯えていただけだけれど、大きくなると私の父に対する憎しみがどんどん膨れ上がってしまってね。
そんなある日、父がまた大暴れした時に、私がこのセリフを泣きながら絶叫したんです。
その瞬間父の暴力が一瞬止まったことを私はすごく覚えていて、でもその後母が、私に向かって殴りかかる父を必死に止めてくれていました。
その2日後。
父が倒れて入院することが決まりました。
それを母から聞かされた時も、私は”ざまあみろ”って思ってたのね。今までも何度か入院していたので、”懲りんやつ”って感じ。
ただ今回は今までとは違って、呼吸困難にもなって、一時峠を迎える状態だったんだけど、私は入院先には行きませんでした。
我が家は三姉妹で、私は真ん中。
姉も妹も母に説得されて病院へ行きました。でも私は徹底して母の話を避けたの。
「あんな酷いことを私たちに続けておいて、そんな人を心配しろというあんたがどうかしている。」
そう母を罵りました。
それでも母は目に涙を浮かべて何度も私に話に来ます。
「みんな行ったんだしあんただけ行かないんだよ。峠を越えてやっと手術も出来るんだから、少しだけでも顔見せてあげて。のりこは来れないんか・・・って言ってるんだよ!」と。
それでも私は首を縦には振らなかったの。
本当に憎くて大嫌いでした。
「ざまあみろ。苦しんだらええやん。後悔しろや。そのまま死んでくれても涙の一滴も出んわ!」って。
当時。
本気でそう言ってました。
でも何度も泣きながら言う母に根負けして、ようやく一度だけ行ったんです。
父は・・・。トイレから看護婦さんの介助で出て来たところで、私を見て「おお! 典子来てくれたんか!!」と。
そして、付けていたおしめがずれて、それを看護婦さんが直していました。
「恥ずかしいなぁ。こんな年でこんな姿娘にさらして。」
・・・と、笑っていたんです。
私は黙ってて、その後何も言わずすぐに帰ったんですよね。
憎くて憎くて。早く死んでほしいと心から願ってて。
でも本当に久しぶりに父がこころから笑っている姿を見ました。
そしたら涙が止まらなくて、それでも私は変わらず憎くて、
「ずるい! 悔しい!! なんで泣いてんのよ腹立つ!!」
って思ってました。
それから二日後、成功するはずの手術。
でもお腹を開けたら手の施しようがないほどお酒で内臓がボロボロで、父は亡くなりました。
自分が父に言った言葉。
「お前が死んだらせいせいするわ。一刻も早く死んでくれ!」
これがずっと気になってて。でも気にしてる自分も腹立って。
お葬式では周りにつられて泣いた・・・という認識しかなく、父の死に関してはその後ほとんど考えることがありませんでした。
繰り返す対人恐怖と恋愛依存
私は人を信用していませんでした。
表面的にはいつも明るくて元気にしているんだけど、いつも人の評価と人の目を気にしていました。でもいつも誰かに好かれたくて、自分を大きく見せて、嘘もいっぱいついて・・・。
それがはたから見たら分かるのか、どの会社に行ってもいじめのようなことが起こります。
それでもそんな私に近づいてくれる男性はいて、そんな男性がいると断ることなく受け入れて、結局重いとフラれるというパターンを次から次へ繰り返していました。
人との関係も、男性との関係も、
私がいつもどこかで感じるのは悲しさと怒り。
裏切るだろうという不信感。でも寂しさに勝てず演じて得た結婚。それに全部を託したのに変わらず人から避けられて、夫とも上手くいかず離婚。
そんな私が、カウンセリングに出会って初めて人に自分のことを話しました。
そこで言われたの。
「お父さんとお母さんってどんな人だった?」
そこで初めて親のことを話したんです。
自分を知る。
当時の私が話したかったことは、多分再婚出来るかとか、どうやったら離婚の辛さを早く超えて幸せになれるか・・・みたいなとこ。
でも話してたら、どんどん元夫の悪口や親の悪口になってくる・・。
自分の親のことを人に話す。
しかもカウンセラーは詳細に聴いてくる。
「なんでお父さんはそんなに暴力的だったのかなぁ。」
<知らん。私が憎いからちゃうん?>
「なんでそう思う?」
<多分父に好かれてないし。>
「好かれてないってどうやって知ったの? お前が嫌いやってお父さんに言われたの?」
<言われてないけど、好きな人殴らんやろ。>
「そっか。じゃあ、あなたはお父さんが嫌いだったんやね。」
<嫌いどころか死んだ今も憎い。>
「そんなに今も憎い?」
<憎いどころか、何でここでこんな話せなあかんねんって思う! 今でも憎いし腹立つずっとイライラしてるわ!>
「・・・・じゃあ。その憎いお父さんの話をどうしてそんなに涙ぽろぽろ流して悲しそうに話すの?」
さすがに<>ほど乱暴な話し方はしていませんが、私の本音としてこんな感じだったです( ̄▽ ̄;)
私ねぇ。本当にあの時すごい傷だらけで、ここからすごく腹立たしさがピークになってたんですよね。
でも話し出すと涙がとにかく止まらないんですよ。
カウンセラーに何度言われても分からない。憎いと思いながら泣いてる自分が。分からない分からない分からない・・・・。
分かりたくないんですよ。
入院中におしめがずれて、私に見せた優しい笑顔の父が、私が一緒にいたかった本当の父の姿だったんだって。
そんな笑顔を私は本当に本当に小さい頃見てたんだって。
父のことが・・・大好きだったんだって。
でもいつの間にか変わってしまった。暴力でしか私に関われない父になってしまった。私は父に何をしたんだろう。何かしたんだろうか。でも常に怒鳴ってて、笑うことが全くなくなって・・・。
助けられなかった。社会人になっても理解出来なかった。
病院やお葬式で泣いたのはそういうことだ。
だからずっと寂しかった。
でもそういうことを認めたくないから閉じ込めてた。
徹底的に・・・。
だから、それが自分に近づいてくる男性に出てしまってた。
あんただってどうせそのうち。
初めだけやんそんな笑顔なのは。
そのうち私を嫌う。興味がなくなる。
あの父のように。どれだけ優しくてもきっといつか・・・!!
その憎しみが消えなくて、亡くなったから余計にどうしようもなくて、
私を愛して欲しい!っていう裏側に、
でもどうせ嫌うんでしょう!! って猜疑心。
その自分の苦しみを楽にしてあげるには、
お父さんを理解すること。許してあげること。
はあ!??
なんで!??
父が私を理解したか!?
理解してあげようと思ったか!?
冗談じゃない!!
それなら不幸のままでも構わない!!
・・・・・いったんはそう思ったのね。
でもその後の恋愛もうまくいかないのよ。
カウンセラーさんと話した通り。私のこころに男性への。父への憎しみが異常なほどあったから。
そしてそれを自分で自覚してしまったからね。
ものすごく嫌々やったの。
まずは、父のことを知ろうって。
父を知る。
父は。
カウンセラーになりたかった人でした。
驚きましたね。
自分のアルコール依存を何とかしたいと。そしてこの苦しみが楽になったら、こんなに苦しいことはないから、同じ病気を抱えている人を支えてあげたいと。
そんなこと、自分から調べないと分からなかったんです。
母に聞いて母が残していた父の日記やいろんな書類を見て知りました。
母に、教えてくれたらいいのにと言った時、母は、
「あなたがあの頃お父さんの話に聴く耳持ってなかったでしょ?」
って。
まあ、そうですね。
知りたくもなかったし、聴く耳は持ってなかったと断言できます。
何度も入院しては後悔と自分への責め。
それは、父の職場でのこと。
会社で続く上司からの嫌がらせ、今でいうパワハラ。
それでも仕事を続けていたのは、
祖父母と私たち3人姉妹と母。
6人を支える責務が父にはあったから。
時々嘘をついて会社を休んで飲んでいたのを、あの頃の私は、嘘ついてまで酒を飲もうとするだらしない最低な父親。そうとしか見ていませんでした。
私たち姉妹はいつも父が返ってくると、お帰りなさいも言わずアリの子を散らすようにみんな部屋に行って閉じこもり、父が部屋に入るまでリビングには出ませんでした。
それも父は分かっていたようです。
自分がしていることで、娘は自分を憎んでいるということを。
でもそれでもお酒で辛さを誤魔化す以外の術がなく、それでもカウンセリングを父が続けていたことも私は知りませんでした。
理解したくない。それでも理解したくない。
暴力を受けたのは私だ。
そこを私はなかなか手放せなかったけど・・・。
カウンセリングを続けて、自分がボランティアで人の話を聴くようになって、私と似たような環境の人も多いのだと知りました。
そして自分がそんなことを家族にしているという人にも会いました。
その苦しみを大勢の人に教えてもらいました。
そしたらね。
私が少しずつ大人の眼で見れるようになってたんです。
ああ、父は誰より孤独だったんだと。
その先の恩恵
私がここまで来るのには、かなり時間がかかったと思います。
でも今カウンセラーとして、誰かにうらみつらみがあるお客様に、
「その相手を許しませんか?」
という言葉を私は今までに言ったことがありません。
むしろ言わないように意識しています。
それは、自分がこの言葉の抵抗感をすごく持っていて、すごく時間がかかったことと、嫌々ながらかなり強引にやったので、苦しかったからなの。
言葉では簡単でも当事者が超えるには本当に難しいことです。
憎さMAXの時に相手を許すなんて考えたくないよね。
でも自分が超えたから、それ以外にもやり方はあることを知っています。
まずは自分をちゃんと知ること。
自分にはどんな傷が今の苦しみに影響しているのか。どんな痛みがあるのか自覚することです。
そしてその傷で自分や誰かを責めるんじゃなく、その傷がある自分を抱きしめてあげ続けることなの。
よく頑張った。
よく生きて来た。
って。
しっかり自分を知って抱きしめることがある程度出来てから。もしくは、抱きしめることが出来る過程で・・・。
許す、理解する方へゆっくりと考えて行くんです。
そこからなのね。
理解って、理性を持って解くってことだよね。
自分は頑張ってるんだって認めてあげないと、理性を持って・・・って難しすぎるからさ。
確かに自分自身のやり方は無理くりでしたが、それでも私はあの父の痛みを理解出来た分、自分の見えてる世界は変わりました。
自分が男を傷つけまくる吠える女だとは思ってなかったけど(;^_^A、そんな私に付き合ってくれた男性は、全員本当に一生懸命私を支えてくれた優しい人だったと思えます。
それが出来なかった父の優しさが分かったからね。
父を理解出来た恩恵は、父のなれなかったカウンセラーという職業を、私が父を憎んでいたからこそ、知らずにはたしていたという事実。
父が私の親だったから、私は今幸せなんでしょうね。
皆さんの痛みも向き合えば変わっていきます。
だってそこには誤解があるはずだから。
その誤解が解けた時、あなたにも優しい未来が必ず見えてくると私は思っています。
このお話が、傷ついてしまったすべての皆さんの、お役に立てれば幸いです(*´▽`*)
本日の小川家:『 羨ましすぎるポジティブ思考 』
何がやばいのでしょう。
見え隠れする、”白髪Σ( ̄□ ̄|||)” でございます。
*********
15歳のアオハルな愛息子が学校から帰って荷物を置くなり言います。
息子:「かーちゃん聞いてくれ。俺は今日、ごちゃごちゃとからかってくるクラスメートを黙らせた・・・。」
いきなりなんやねんな。
何があったの。
息子:「帰りに教室で友達とある歌を歌って盛り上がっていた。すると何人かのクラスメイトが、そこにやって来て、お前らうるさいみたいなことを言ってきた。」
ふむふむ。
息子:「一人のやつが、”見てみろ。みんなちゃっちゃと帰ったぞ。うざかっんたやろ。小川のせいちゃうか?” と言ってきやがった。」
で?
息子:「俺は言ってやった。
”逆やろ。俺の歌う姿がまぶしくて耐えられなくなっただけや。”と。」
ほほぉ( ̄- ̄)
息子:「すると再びそいつは言った。
”何言うとんねん。あまりにも下手やったからちゃうんか。”と。」
で?
息子:「お前こそ何言うとんねん。下手というのは、まだまだのびしろが果てしなくあるいうことやんけ。と。」
おおおおおおおwwwwwww\(◎o◎)/!
すると?
息子:「ヤツは…。”お前どんだけポジティブやねん” と。笑って去っていった。周りも笑っとった。俺は奴らに笑顔という幸せをくれてやった。どうや。」
恐れ入りました(o*。_。)o
わたくしも大笑いしてしまいました。
このメンタル弱弱なわたくしから、よくぞこういう子が生まれたものでございます。
見習いたいものです。
お知らせ(そのに)
次回は、
11⽉26⽇
に担当いたします。
よろしくお願いいたします。
♪小川のプロフィールでございます~♪
小川のりこの赤裸々ブログはこちら~
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2週に1度の「婚活」担当、
小川のりこが、みなさんのご相談にお答えいたします
小川に回答してほしいご相談がある方は、メッセージでご相談をお送りください。
なお、件名に「小川のりこへの相談」と明記してください。
いただいたご相談の中から、1~2ヵ月に1件のご相談を採用させていただきます。
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