こんにちは。みずがきひろみです。沼田みえ子カウンセラーと交代で、金曜日の〈大人の恋愛術〉をお届けしています。
「嘘でもいいから『愛している』って言って欲しい」。
実は、このセリフ、昔々、まだ私が株の投資を仕事にしていた時に、大先輩のファンドマネージャーが、数百人も入る大会場で、上場してまだ数年しか経っていないNTTの当時の社長に投げかけた言葉です。
まだ日本ではIR(投資家広報)活動が浸透していなかった時代で、もともと官制事業を手がけていた準公務員的な会社でしたから、まだIRに慣れていなかったのです。投資家が聞きたいと思っていることをなかなか言ってくれない経営陣に対して、そのファンドマネージャーは、投資家の「キモチ」をわかってほしい、と訴えたのでした。
曰く「投資家というのは女性と同じなのです。嘘でもいいから『愛している』と言って欲しいものなのですよ(形だけでも経営計画を説明して、「これだけ儲けるつもりだ。株主の利益を大切に思っている」と言ってほしい)」と。
度肝を抜くような発言に、憮然とした表情の元社長でしたが、降段し、退室されるときには、その先輩の側を通り、
「嘘じゃしょうがねェだろう(経営計画が絵に描いた餅じゃしかたがない)」
と小声でつぶやかれたそうです。
そのエピソードを聞き、私は、この紋切り型の答弁しかしなかった元社長のことを見直して、結構好きになったのでした。
それから20年近くたちますが、私は、カウンセラーとして、この「嘘でもいいから『愛している』と言ってほしい」というお客さまの切ない気持に出くわすたびに、この、
「嘘でもいいから、、、」
「嘘じゃしょうがねェだろう」
のやりとりを思い出します。
本当に「嘘でもいい」のか、「嘘ならいらない」のか。
私自身、この二つの気持ちの間を何度もいったりきたりしましたし、実際、お客さまのお話を聞いていても、「嘘でもいい」と言いながら「嘘ならいらない」と怒り、「嘘ならいらない」とつっぱねながら「嘘でもいいから」と涙する方が多いように思います。
それはそうですよね、誰だって傷つきたくないですもの。愛している相手に「愛している」と言って欲しいですし、「もしかしたら嘘かも」と思っても騙されたい気持ちはあります。
「嘘でもいいから『愛している』と言ってほしい」という気持ちは、心理的には「依存」のポジションです。自分には何もできないという無力感でいっぱいで、それが仮に「嘘」であったとしても、それが一時の気休めであったとしても、「愛されている」と感じさせてほしい、というニーズです。痛みどめにすぎなくても、それがなくては生きていけない、と感じるほど、自分では自分を愛せなくて、他人からの愛に依存せずにはいられなくなることだってあります。
一方、「嘘ならいらない」という気持ちは、「自立」のポジションです。さんざん、「愛されたい」と期待してはがっかりした経験を繰り返したせいか、「嘘」の愛なんか欲しくもない、と「愛」の「嘘」をとことん暴こうとします。時として、チェックが厳しすぎて、「嘘」ではないはずの「愛」まで、フィルターにはじかれてしまいそうです。「愛」なんか「嘘くさい」と斜に構えますが、本当は、またがっかりするのが「怖い」のです。
心理的な立ち位置は、真逆に見えるのに、両者とも、「嘘」ではない「愛している」がなかなか言ってもらえないと思っているフシがあります。
根っこにあるのが、「どうせ私は、『愛している』なんて言ってもらえないのよ」というどこか「投げた」気持ちだとしたら、「嘘でもいいから」とすがろうが、「嘘ならいらない」と疑いまくるのも、大同小異かもしれません。
では、『愛している』を言う側はどうでしょう?
「嘘じゃしょうがねェ」という人の「誠実さ」は、断然かっこよく見えます。でも、実際に、「嘘じゃない」『愛している』をちゃんと伝えられている人はどのくらいいらっしゃるのでしょう?
おべんちゃらやごまかしはともかく、一番伝えなければならない相手に本気の「愛している」を私たちは伝えているでしょうか?
照れ隠しに冗談めかしていませんか?
それどころか、恥ずかしくて、一番伝えたい相手に悪態をついて、口を開けば文句かこき下ろし、なんてことになっていませんか?
「態度で気づくでしょう?」って思いますか?もちろん、伝わっている部分もありますけれど、人ってそんなに自信のある生き物ではありません。他人からの褒め言葉を、何度も何度も、反芻して気持ちを盛り立てていません?だとしたら、きちんと「言葉」にするのが「優しさ」かもしれませんよね?
素直になれなくて、わだかまった長い年月があるカップルほど、普通なら言いにくいはずのネガティブなことは言いますが、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「お願い」、「愛している」は言えなくなっています。
「あなたに負けたような気持ちになるから、あなたの優しさをわかってはいたけれど、認められなくて、あなたに文句ばかり言っていたわ」。
「あなたほど包容力がなくて、つい拗ねてしまうのが申し訳なくて、もうお願い事もできなくなっていたの。嫌いになったのではなくて、これ以上嫌われるのが怖かったから近づけなかったのです」。
大切なのは、自分のコンプレックスまで認めて、思いを分かち合うこと。それができたら、「嘘じゃない」思いが、透けて見え始めます。
誠実に向き合うのは、とても勇気のいることですが、疑いを超えて「嘘じゃない」思いを分かち合うところから、絆が生まれます。
love and abundance,
みずがきひろみ