こんにちは。みずがきひろみです。
陽射しは春なのに、空気はまだまだ冷たい。あと少し、と自分を励ましながらかじかむ手に息をふきかける今日この頃です。お風邪などひいていませんか?お大事になさってくださいね。
お知らせ!いよいよ【みずがきひろみの心理学サロン】2015年10回シリーズが2月26日(木)にスタートします!女性は「おしゃべり」がストレス発散になることを知っています。【心理学サロン】は、「対話」の中に「気づき」と「癒し」を見つける講座です。日常の中で心理学をどう使っていったらいいのか、ここでヒントとインスピレーションを手に入れてください!
第1回【心理学サロン】『「鏡の国」へようこそ~心理学を使ってヴァージョンアップしよう~』
日時:2015年2月26日(木)13:30~15:30
場所:東京・渋谷
お知らせ!3月のワークショップ@横浜は、「お金」とのおつきあいを見直す時間です。もっと意識的に、でも軽やかに「お金」とつきあいたいと思っていらっしゃる方のために「お金」との関係性をクリニックします。お楽しみに!
<昼の部>『お金と仲良くしていますか?(1)~お金の使い方からヴィジョンが見える~』
<夜の部>『お金と仲良くしていますか?(2)~感情のブロックをとる~』
日時:2015年3月8日(日)
<昼の部>13:30~17:30 <夜の部>18:30~20:30
場所;横浜
心を癒すときの必須科目ともいえる「許し」ですが、「言うが易し、成り難し」で、本当に難しいと感じます。私が強情なだけかもしれませんけど。素直に、自分も他人も許せる人が羨ましいです。私もそうなりたいから。カウンセリングをしていると、お客さまがひどく傷つきながらも、相手を慮る言葉を口にされて、私の方が癒されてしまうことがよくあります。そんなときは、ただただ「すごいなぁ」と尊敬するばかりです。
心の働きで「できない」ということはない、それは「やりたくない」なのだ、と言います。
そうなのかもしれません。
彼に喜んでもらいたくて、彼のために用意したチョコレートだったのに、彼がそれを職場の人たちに何でもないかのように回して分けてしまいます。
私にしてみれば、自分の心が軽く扱われたかのように思われて面白くありません。
彼は、ただ「恥ずかしくて、受け取れなかった」のかもしれませんけど、
「受け取ってもらえなかった」と思うと私は、自分がみじめで情けなく思えてきます。
心のどこかでは、「彼はきっと恥ずかしかったんだわ」ってわかっているのだけれど、
「許したくない」
のです。
だって、「許し」てしまうと、
自分が「傷ついた」自分を無視してしまいそうだから。だから、何がなんでも「ごめんなさい」が欲しくなるんです。
「どうして『私』のチョコを人にあげたりするのよ!」
「それ、いったいどういう意味?」
「私をバカにしているの?」
彼に向かって怒りが爆発します。
私のチョコを人にあげるなんて絶対に間違っている。何がなんでもそれを認めてもらわなくてはこの関係は先に進めないわ、とこの「ごめんなさい」をもらうことが一大事になるのです。
でも、本当にこれはそんな一大事なのでしょうか?
確かに、「恥ずかしくて」人からの愛をまっすぐに受け取れないとしたら、まだまだオコチャマですけど。
「照れるから流しちゃったよ、ごめん。でも嬉しかった」の一言が欲しいところだけれど。
そんな彼の照れ屋でオコチャマなところも知っていたはず。そんなはにかみ屋なところが胸キュンだったこともあったはず。
なのに「許したくない」。
だって、「私が傷ついた」ことをちゃんとわかってほしいから。
誰に?
「彼に」。
確かに「彼に」わかってほしい、いえ、本当は、彼に「変わってほしい」のです。 私の愛を受け取ってくれる「彼」になってほしいのです。
彼に私の愛を受け取って、「傷ついた」私の味方になってほしい。私が「傷ついた」ことに寄り添ってくれた証として「ごめんなさい」が欲しいと思ってしまいます。
彼に「ごめんなさい」を求めるのは、自分ひとりでは自分の痛みに寄り添えないから。自分が自分の味方になりきれないから、彼に援軍を求めたくなってしまうの。自分ひとりでは、自分の痛みを抱えきれないから、許せない、って思うみたいです。
本当に許せないのは、自分の痛みを抱え切れるほど大きな愛をもつこと。そんな慈愛のある人になることに抵抗しているようなのです。
だって、そんな慈愛深い人になっちゃったら、損ばかりしそうだもの、って思っちゃう。
愛する人より愛される人でいたいものね、って嘯きたくなります。
でも、本当に自分の味方になるってことは、自分の素晴らしさを認めることかもしれません。
「許し」は人のためではなく、自分のため、とも言います。
自分の心を「怒り」から解放して、もっと大きな愛に委ねたい、と思うことなんです。
すぐに許せなくたっていいんです。ただ「許したい」と思えれば、いつか許せるようになりますから。
「あなたは恥ずかしかったのかもしれないけれど、本当は受け取ってほしいのよ。私だって受け止めてもらえないと傷つくんだもの」。
そう笑って言えるようになれたら、彼の「ごめんね」が聞ける日も遠くないかも、って思うのです。「受け取ってもらえなかった」と思うと私は、自分がみじめで情けなく思えてきます。
心のどこかでは、「彼はきっと恥ずかしかったんだわ」ってわかっているのだけれど、
「許したくない」
のです。
だって、「許し」てしまうと、
自分が「傷ついた」自分を無視してしまいそうだから。だから、何がなんでも「ごめんなさい」が欲しくなるんです。
「どうして『私』のチョコを人にあげたりするのよ!」
「それ、いったいどういう意味?」
「私をバカにしているの?」
彼に向かって怒りが爆発します。
私のチョコを人にあげるなんて絶対に間違っている。何がなんでもそれを認めてもらわなくてはこの関係は先に進めないわ、とこの「ごめんなさい」をもらうことが一大事になるのです。
でも、本当にこれはそんな一大事なのでしょうか?
確かに、「恥ずかしくて」人からの愛をまっすぐに受け取れないとしたら、まだまだオコチャマですけど。
「照れるから流しちゃったよ、ごめん。でも嬉しかった」の一言が欲しいところだけれど。
そんな彼の照れ屋でオコチャマなところも知っていたはず。そんなはにかみ屋なところが胸キュンだったこともあったはず。
なのに「許したくない」。
だって、「私が傷ついた」ことをちゃんとわかってほしいから。
誰に?
「彼に」。
確かに「彼に」わかってほしい、いえ、本当は、彼に「変わってほしい」のです。 私の愛を受け取ってくれる「彼」になってほしいのです。
彼に私の愛を受け取って、「傷ついた」私の味方になってほしい。私が「傷ついた」ことに寄り添ってくれた証として「ごめんなさい」が欲しいと思ってしまいます。
彼に「ごめんなさい」を求めるのは、自分ひとりでは自分の痛みに寄り添えないから。自分が自分の味方になりきれないから、彼に援軍を求めたくなってしまうの。自分ひとりでは、自分の痛みを抱えきれないから、許せない、って思うみたいです。
本当に許せないのは、自分の痛みを抱え切れるほど大きな愛をもつこと。そんな慈愛のある人になることに抵抗しているようなのです。
だって、そんな慈愛深い人になっちゃったら、損ばかりしそうだもの、って思っちゃう。
愛する人より愛される人でいたいものね、って嘯きたくなります。
でも、本当に自分の味方になるってことは、自分の素晴らしさを認めることかもしれません。
「許し」は人のためではなく、自分のため、とも言います。
自分の心を「怒り」から解放して、もっと大きな愛に委ねたい、と思うことなんです。
すぐに許せなくたっていいんです。ただ「許したい」と思えれば、いつか許せるようになりますから。
「あなたは恥ずかしかったのかもしれないけれど、本当は受け取ってほしいのよ。私だって受け止めてもらえないと傷つくんだもの」。
そう笑って言えるようになれたら、彼の「ごめんね」が聞ける日も遠くないかも、って思うのです。「受け取ってもらえなかった」と思うと私は、自分がみじめで情けなく思えてきます。
心のどこかでは、「彼はきっと恥ずかしかったんだわ」ってわかっているのだけれど、
「許したくない」
のです。
だって、「許し」てしまうと、
自分が「傷ついた」自分を無視してしまいそうだから。だから、何がなんでも「ごめんなさい」が欲しくなるんです。
「どうして『私』のチョコを人にあげたりするのよ!」
「それ、いったいどういう意味?」
「私をバカにしているの?」
彼に向かって怒りが爆発します。
私のチョコを人にあげるなんて絶対に間違っている。何がなんでもそれを認めてもらわなくてはこの関係は先に進めないわ、とこの「ごめんなさい」をもらうことが一大事になるのです。
でも、本当にこれはそんな一大事なのでしょうか?
確かに、「恥ずかしくて」人からの愛をまっすぐに受け取れないとしたら、まだまだオコチャマですけど。
「照れるから流しちゃったよ、ごめん。でも嬉しかった」の一言が欲しいところだけれど。
そんな彼の照れ屋でオコチャマなところも知っていたはず。そんなはにかみ屋なところが胸キュンだったこともあったはず。
なのに「許したくない」。
だって、「私が傷ついた」ことをちゃんとわかってほしいから。
誰に?
「彼に」。
確かに「彼に」わかってほしい、いえ、本当は、彼に「変わってほしい」のです。 私の愛を受け取ってくれる「彼」になってほしいのです。
彼に私の愛を受け取って、「傷ついた」私の味方になってほしい。私が「傷ついた」ことに寄り添ってくれた証として「ごめんなさい」が欲しいと思ってしまいます。
彼に「ごめんなさい」を求めるのは、自分ひとりでは自分の痛みに寄り添えないから。自分が自分の味方になりきれないから、彼に援軍を求めたくなってしまうの。自分ひとりでは、自分の痛みを抱えきれないから、許せない、って思うみたいです。
本当に許せないのは、自分の痛みを抱え切れるほど大きな愛をもつこと。そんな慈愛のある人になることに抵抗しているようなのです。
だって、そんな慈愛深い人になっちゃったら、損ばかりしそうだもの、って思っちゃう。
愛する人より愛される人でいたいものね、って嘯きたくなります。
でも、本当に自分の味方になるってことは、自分の素晴らしさを認めることかもしれません。
「許し」は人のためではなく、自分のため、とも言います。
自分の心を「怒り」から解放して、もっと大きな愛に委ねたい、と思うことなんです。大きな愛は、「傷ついている自分にも、「許したい」自分にもOKって言ってくれる心です。
だから、すぐに許せなくたっていいんです。ただ「許したい」と思えれば、いつか許せるようになりますから。
「あなたは恥ずかしかったのかもしれないけれど、本当は受け取ってほしいのよ。私だって受け止めてもらえないと傷つくんだもの」。
そう笑って言えるようになれたら、彼の「ごめんね」が聞ける日も遠くないかも、って思うのです。
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