
こんばんは。カウンセリングサービス の大塚統子 です。
木曜日に大門昌代
・大野愛子
とともに「うまくいかない恋の処方箋」をテーマに書いています。今回は大塚が担当です。
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「私はこの世で一番美しい。」
「私の体ってセクシーだわ。」
「俺の筋肉はスゴイ。」など、容姿への自己愛が強い人をナルシストと呼ぶことがあります。
また、「俺ほどできるヤツはいない。」
「俺の言うことはすべて正しい。」
「俺って最高だよな。」といった俺様的な人をナルシストと呼ぶことがあるでしょう。
ナルシストのニュアンスに似たような日本語表現を探すと、自信過剰とかうぬぼれやとか自己中心的になるのでしょうか。どちらかというと皮肉を込めた表現になるようです。
ナルシストという言葉が皮肉を込めて使われるのは、自己愛が強く、自分以外に関心が向かないからなのではないかと大塚は想像しています。
自己愛が強いことは悪いことではないでしょう。けれども、関心がすべて自分に向いているために、周囲との人間関係を築けない点が問題となり、皮肉られやすいのではないかと推測します。
そして、この自己愛が強い状態の真逆である「自分嫌いが強い状態」というのも、ナルシストに近い状況を作り出すのではないかなぁと思うのです。
自分嫌いが強い状態だと、関心の中心は自分自身になりがちです。
「私のここが嫌い。」
「こういうところが悪いんだよね。」
「こんな私は人からどう思われるんだろう。」
「嫌われちゃったらどうしよう。」といったように、自分自身に意識が集中することが多くないでしょうか。
ナルシストが自己愛いっぱいで自分のことばかり考えるとしたら、自己嫌悪がいっぱいで自分のことばかり考えるのもナルシストに似ていると思いませんか。自己愛を軸に考えるか、自己嫌悪を軸に考えるかの違いはあるのですが、興味の対象が自分自身に向かうという意味では共通していると思われます。
昔、私が自己嫌悪だけしかしていなかった頃、「私ってナルシストと同じじゃないかな?」と気がついた時は、それをネタにまた自己嫌悪をしていました。「なんて自分勝手で傲慢だったのだろう…。」と。でも、この気づきを自己嫌悪の材料に使うだけではもったいないと思ったわけです。
そこで、もう一度考えてみましょう。自己愛が強いのが悪いわけではなく、自己嫌悪が強いのが悪いわけではないのではないでしょうか。問題は、過度に自分に関心が集中していて、周囲に関心を持ちにくいところにあるのではありませんか。
「自分にしか関心がない」というナルシストの罠から抜け出すには、自分じゃない誰かに関心を持つことなのかもしれません。
「誰かに関心を持とう!」と思っても、つい自分のことを考えちゃう癖はなくならないでしょう。それでも、誰かに関心を持つ時間が増えた分だけ、進化できるのではないでしょうか。
いきなり「誰かに関心を持とう!」と言われても、どうしたらいいのかわかりにくいかと思います。
例えば、あなたの気になる人について、
「何が好きな人なのかな?」
「何が嫌いな人なのかな?」
「何を大切に考える人なのかな?」
「何を感じているのかな?」
「どんな風に生きてきた人なのだろう?」
などといったことを知ろうとすると、相手に関心が持てるでしょう。
相手に関心を持つようになると、自分だけの世界から出て、外の世界と交流することが可能になるでしょう。
好きな人とつながりを作るには、相手に関心を持つことが大切です。自分に関心を持ってくれる人に対して、人は興味を持ちやすくなります。
そして、自己嫌悪中の皆さんにお知らせです。
誰かに関心を向けている時間は、自分のことを考えなくなると言われています。つまり、自己嫌悪に忙しい状況から解放されやすくなるようです。自己嫌悪が苦しい時は、自分のことを考えるのをお休みして、外の世界に関心を向けるようにしていけるといいのかもしれませんよ。
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