こんばんは。カウンセリングサービス の大塚統子 です。
木曜日に大門昌代
・大野愛子
とともに「不倫と浮気」をテーマに書いています。今回は大塚が担当です。
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自分以外の人とも恋愛関係を持つようなパートナーがいて、「この人と一緒に居ても幸せにはなれない。」と頭ではわかっているのに、「離れることができない」というような恋愛をすることがあります。
「だって、別れたら寂しくなるから。」
「悪いことばかりじゃないし、いいことだってあるから。」
「心が痛いけど、私にはこのくらいの恋愛がお似合いだから。」
「彼(彼女)のことを深く愛しているから。」
傷つくのがわかっていてもお付き合いを続けるのには、何かしらの理由があるのだと思います。
もし、その理由の中に「私が助けなきゃ」という思いがあるとしたら…。
「私だけがあの人を理解してあげられるのだから、傍にいてあげなきゃ。」とか、「私が見捨てたら、ひとりぼっちになってしまうから。」とか。
「困っている人がいたら助けてあげたい」と思うこと自体は、“愛”や“思いやり”と呼ばれる素晴らしいものでしょう。
でも、「助けてあげたい」の前に、「私は傷ついてもかまわないから」とか「私だったら耐えられるから」とか、自分は犠牲を払ってでも「助けなきゃ」という心境であるならば、ちょっと立ち止まってもいいのかもしれません。だって、それはとても苦しいでしょうから。
そこまでして「助けなきゃ」と強い思いがある時、心の奥には「助けられなかった誰か」の記憶が隠れていることがあります。
病気で亡くなった人かもしれませんし、事故や自殺などで突然関係が絶たれた人かもしれません。自分の力が及ばなくて助けてあげられなかった人、助けようとしたのに失敗して救えなかった人かもしれません。本当はこうしてあげたらいいと知っていたのに、見ないふりをしてしまった人かもしれません。
そんな「助けられなかった誰か」の存在が心に引っかかっていると、「助けなきゃ」という思いが必要以上に強くなることがあるようです。
そして、目の前の人を充分助けているのに「自分が助けになっている」と感じられなかったり、自分自身を犠牲にすることに無感覚になったり、「助けなきゃ」と思う相手ばかりを仕事や恋愛のパートナーに選んでしまったり、といったことが起こりやすくなります。
たぶん、今でも一番助けてあげたいのは、心の中にいる「助けられなかった誰か」なのではないでしょうか。その人が助かったと思えない限り、「助けなきゃ」という思いに駆り立てられてしまうのかもしれませんね。
カウンセリングをしていると、「助けられなかったのは仕方がないことだと思おうとしても、思えない。」「結果として助けられなかったのだから、自分は何もしなかったのと同じ。」「できなかったことに変わりはない。」などといったお話を聞きます。
そんな時に「あなたと同じ状況で誰かを助けられなかった人があなたの隣にいたとして、同じような言葉をかけるでしょうか?」と尋ねます。普段自分自身に対して、どれだけ厳しい言葉をぶつけているのかに気がついてほしくて。
助けたかったからこそ、そうできなかったことが悔しくてやりきれなくて、自分を責めるしかなくなっているのでしょう。あなたが誰かを助けられなかったことで自分をひどく責めているとしたら、そのひどさの分だけ、あなたには助けたい気持ちがいっぱいあったってことだと思います。
「できなかった」と思っているから、呑み込んでしまっているのでしょう。「どれほど助けたかったか」という言葉を。本当はこうしてあげたかったこと、こうなればいいと思ってがんばってみたこと、たくさんの封印した想いがあるのではないでしょうか。もしよかったら、今、それを感じてみてあげませんか?
記憶の中の「助けられなかった誰か」に、大切に想っていたことを告げることができたら。何かが変えられるのかもしれませんね。
時には、「助けられなかった誰か」が、自分自身であることもあります。その場合は、今現在のあなたが、当時のあなたの心を助けに行ってあげてもいいでしょう。
自分を犠牲にしてでも「助けなきゃ」という考え方から自由になると、恋愛のあり方が変化してくるでしょう。
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