こんばんは
カウンセラーの平です。
日曜日の恋愛心理学を原カウンセラーと隔週で担当しています。
私たちはいつも自分をちっぽけに扱いすぎているようです。そして、そのために多くの問題が生まれていると心理学ではいわれています。
自分をちっぽけに扱う?
それはどういうことでしょうか?
「自分とはどういう存在なのか」。私たちはそれを自分の勝手な解釈で決めることができます。
が、そのとき、多くの人が、実際の自分よりも「自分はちっぽけで頼りない存在だ」と決めつけているようなのです。
そして、「そんな私はつねにだれかの援助を必要としていて、愛してもらったり、理解してもらったり、助けてもらったりしなければいけないほどか弱い存在なのだ」と認識しています。
これは、子どものときにつくった「おとうさんやおかあさんに面倒を見てもらわないと自分は生きられない」という自己概念の名残です。
言い換えれば、幼児のころに「弱い存在の自分は、だれかに愛してもらえる」ということを学習したわけです。
このとき以来、私たちはだれかに「愛してもらいたい」、「わかってもらいたい」、「助けてもらいたい」というとき、自分はか弱くあらねばならないと考えるようになったようです。
しかし、そんなふうに思っているとき、「こんなに頼りなく、か弱い私をだれも愛してくれないし、わかってくれないし、助けてくれない」としたら、どうなるでしょう?
それはあなたのまわりの人たちへの文句となり、怒りに変わり、攻撃さえしてしまうことも少なくありません。
「なんで愛してくれないの?!」
「なんでわかってくれないの?!」
「なんで助けてくれないの?!」
ということですね。
そこには、「愛してもらうべきは私であり、愛すべきは親やパートナーである」という概念があるわけです。
大人になった私たちであれば、愛し、理解し、助ける側にまわってもよいはずですよね。
でも、そんな自分になることに自己制限をかけているわけです。
大人になりきれていない自分がそこにいるということであり、「だれかに愛してもらいたい」という依存心が心の中にたえずあるわけです。
親子関係であれ、男女関係であれ、自立と依存という関係にあるかぎりは、必ず依存側から自立側への文句が出ます。「なぜ、愛してくれない? わかってくれない? 助けてくれないの?」、と。
残念ながら、親であれ、パートナーであれ、人間ですから不完全であります。
それをなじるのではなく、その不足した部分を愛し、補ってあげることこそが現在のあなたがするべきことなのです。
依存心が強ければ強いほど、それがわからず、自ら愛し、補ったりすることはけっしてありません。
そして、文句や怒りを向けるだけでは、その対人関係では相手の不足・欠点が、いつまでも愛の欠如としてあなたの中に残りつづけます。
ありとあらゆる対人関係において、あなたが相手に足りないと感じることは、あなたのほうからその人に与えていかないかぎり、不平不満は永遠につづきます。
中には、とんでもないことを言ったり、したりする人もいるものです。
でも、思いだしてください。その人をなじったところで、そのネガティブなパターンは直りましたか? むしろ、恨まれたり、攻撃性が増したりする結果になることの方が多いのではないでしょうか?
そんなときは、こんなふうに考えてみてください。
「なにがあって、この人はこんなことを言うのだろう、するのだろう?」
「なにがなくて、こんな人になっちゃったんだろう?」
そして、この人に「なにを与えてあげなくてはいけないか」を考えてほしいのです。
それが親だったとしたら、ときには、親の親になりかわって、あなたのほうからさまざまなものを与えてあげねばならないようなケースも出てきます。
「自立と依存は、逆転するときが来る」と心理学は教えます。
そのだれかにとって、あなたが“愛の人”になることで、その人との関係性はいっそう強い絆で結ばれたものになるようですよ。

