こんばんは
カウンセラーの平です。
日曜日の恋愛心理学を原カウンセラーと隔週で担当しています。
彼女は自分のことをひどく嫌っていました。
自分が人に愛されるとはまったく考えることができません。
また、自分のことを評価してくれる人がいても、「言葉ではいいことを言ってくれたとしても、本心かどうかはわからない」などと考えてしまいます。
そのため、自分がほめられる言葉は疑い、「もう、いいかげんにしなさいよ」などと自分をたしなめたり、非難したりする言葉には真意を感じます。
「ほーら、やっぱりね」と、自分を非難するコトバを集めて生きているような人生を送っているわけです。
しかしながら、あるとき、母親に泣きながらこう言われたのです。
「あなたはどうして、自分を評価したり、愛したりしてくれる人のことをそんなに疑うの?」
その言葉がやけに胸に引っかかり、「なぜ、私はこんなに疑い深いのだろう?」と考えるようになり、ネットで心理コラムなどを読みあさるようになったのです。
その流れで、彼女は私どもにたどりつき、あるセミナーのとき、私は彼女と初めて会いました。
私はそのセミナーの冒頭で、「私たち人間は愛しあう生きもので、自分が愛した度合いしか、人からの愛も感じられないんですよ」というレクチャーをしました。
彼女はその話に強く反応しました。「こんな私に愛されて、だれがうれしいものか」、と。
まるで喰ってかかるように、「おとうさんもおかあさんも、私がこんなふうだからうんざりしている」と言うのです。
そこで、私は切り札を出しました。
「おじいちゃん、おばあちゃんも同じなの?」
彼女は黙り込みました。
人が絶対的な愛を感じるのは、両親よりも祖父母からということのほうが圧倒的に多いのです。
おじいちゃん、おばあちゃんは無条件に愛してくれます。そして、子どものほうも、自分はこの人たちのよろこびであるということをどこかで感じ、わかっているようなのです。
彼女の場合、とくにおばあちゃんが溺愛してくれたとのこと。たまに家を訪ねると、涙を流してよろこんでくれるほどだったので、自分が祖母のよろこびであるということを知っていたのです。
あるときなどは、おばあちゃんの部屋に入ると、彼女が子どものころからプレゼントしてきたものや手紙がすべて保管されていることに気がつきました。
それを言うと、おばあちゃんはうなずきながら、一つひとつの思い出を語ってくれたのです。
彼女にしてみれば、「たかだか、こんなものごときで‥‥」と思うようなものばかりなのですが、おばあちゃんにとっては、その一つひとつが大きなよろこびだったわけです。
それはある意味、大きな衝撃でした。彼女は子どものころから多くの人に愛されて育ってきたのです。そして、「自分もだれかのよろこびになれる」どころか、もうすでによろこびになっていたのです。
「こんな私」と彼女は自分のことをちっぽけに扱っていたので、私はこう聞いてみました。
「じゃあ、だれとの関係で、自分をちっぽけだと感じたの?」
「うーん、おとうさんとの関係ですね‥‥」
彼女の父親は非常に優秀な人で、たまに国会中継にチラッと映ったりすることもあるとのこと。
彼女にはおにいさんがいて、彼もまた優秀でしたが、自分はそうではないので、自分はおとうさんのよろこびになんかなれないと感じていたようなのです。
「じゃあ、直接、おとうさんに聞いてみなさいよ」と、私は彼女に宿題を出しました。
その宿題をするために彼女が父親のところに行ったところ、父親は黙って自分の部屋に彼女を連れていきました。
そして、父親が見せてくれたのが、彼女が子どものときから贈ってきた小さなプレゼントや手紙だったのでした。すべてが大切に保管されていたのです。
では、来週の『恋愛心理学』もお楽しみに!!
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