こんばんは
カウンセラーの平です。
日曜日の恋愛心理学を原カウンセラーと隔週で担当しています。
おつきあいが長くなると、あれだけ大好きだったパートナーなのに、いろいろと悪いところが目につくようになってきます。
そして、「言いたかないけどさ‥‥」と言いつつも、あれこれとケチをつけるようになる時期がやってきます。
いままでそんなに気にならなかったのに、なぜ、いやなところがたくさん目につくようになってくるのでしょうか。
これは、ロマンスの時期を思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。
ロマンスの時期、つまり、おつきあいをはじめて早々は、この逆のことが起こりますよね。
パートナーの素晴らしいところがたくさん見えて、つきあえばつきあうほど、「こんなにも素敵な人だったなんて」と感動してしまったりするわけです。
これは“理想化”と呼ばれることなのですが、自分がつきあいはじめた相手はこんなに素晴らしい人だと思いたいがゆえに、無意識のうちによいところばかり探すことによって起こります。
しかし、おつきあいが進み、マンネリの時期にさしかかったりすると、あなたは最初のころほどパートナーのことを愛さなくなっています。
言い換えれば、パートナーへの愛を制限するようになっていきます。
そして、人間というものは、愛を制限したり、愛を止めたりすることに罪悪感をもつようなのです。
その罪悪感に苛まれることから自分を防衛するために、あなたはそれをパートナーのせいにしようとするんですね。
「いやいや、私が愛を制限したのは、パートナーが私を昔ほど愛してくれなくなったからですよ」とか、「だって、私のイヤなあんなことをするからですよ」とか‥‥。
つまり、私が愛をケチっているのではなく、「あなたが愛されにくいことをしたり、愛されにくい態度をとったりするから、あなたのことが愛しにくくなっているんですよ」と言いたいわけです。
また、おつきあいをはじめてそれなりの時間がたつと、二人のやり方の違いが争いの要因になることがよくあります。
二人ともそれなりの人生を生きてきましたから、「これはこうするのが当たり前」という常識をそれぞれにもっています。
たとえば、男性は洋式トイレを使うとき、小用であれば便座を上げますよね。
それが男性にとってのトイレの基本ポジションであって、便座は座って用を足すときのみ下ろせばよいと思っているものです。
一方、女性はトイレはいつも座って使いますから、便座は下ろした状態が基本ポジションとなります。
‥‥と、それぞれが次分にとっての常識を主張すると、二人の間に争いが起こることもあるわけです。
「トイレの便座、また上げっぱなしだったわよ!」
「このビール、飲むの、飲まないの、どっち? ちょっとだけ残ってるじゃない」
「お風呂の水抜き、忘れてるよ」
などなど、日常の中にも争いのタネはそれはそれはたくさん潜んでいるわけです。
それもこれも、ロマンスの時期であれば笑って許せていたことだったりしたのですが、もうそうではなくなっています。
さらに、「だから私はあなたを愛せなくなったのよ!」と愛を制限することを正当化するために、パートナーの悪いところばかり見つけるようなことをしてしまったりするわけです。
ちなみに、このときの私たちは「パートナーが愛されにくい態度をするから、私も以前より愛せなくなった」と考えていますが、心理学ではこんなふうな見立てをします。
「あなたが愛さなくなった度合いだけ、その対象はあなたにとって愛の存在ではなくなる」
たとえば、子どもやペットを思い浮かべてください。彼らはあなたの手をわずらわせることがたくさんありますが、その一方で、生産的なことはなに一つしませんよね。
しかし、彼らのことをあなたが愛しているかぎり、どんないたずらや悪さをされたとしても、あなたにとっては、ただただかわいいと感じられる存在です。
そう思えるのもまさに、あなたが愛を制限せず、惜しみなく与えているからではないでしょうか。パートナーに関しても、それは同じであるわけです。

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