
彼(女)が浮気をした。
彼(女)が嘘をついた。
暴言を吐いた。
相手に対して「なんでそういうことになるの?」ってがっくりくることがあると、「もう、許せない!」って思います。「あんな奴!」って悪態をつきたくなります。そして、「もう二度と〇〇しない!」って拗ねたくなります。
私たちは、期待が裏切られたり、理不尽だと感じるようなことがあると傷つきます。そして、傷つけた相手に対して怒りを覚え、「許せない」と思いますし、二度と同じように傷つきたくないから同じような状況にならないようにと相手も自分も二人が置かれている状況もコントロールしたい、と思うようです。
彼に対しても「ひどい!」と罵りながら、「もう二度と愛してやらない!」など、どうやって相手をこらしめて二度と同じことがおきないようにコントロールできないか考えます。子供の頃、いたずらを働くと親におしおきをされて「ごめんなさい。もう二度とやりません」と謝るはめになったことをとっさに思い出すのでしょうか。どうしたらあなたに「許されない」ことで、彼に困ってもらい、反省してもらえるか思いめぐらすのですが、多くの場合、この戦略は彼に「反省して」「いっそうあなたを愛する」という、あなたが願う結果にはなりにくいです。
どれほど彼があなただけを愛するのが「正しく」、彼のやったことが理不尽で、ずるくて、酷いかをあげてみても、あなたの「正しさ」が証明されるだけで、お互いの「愛」が見えないという残念な話になりやすいのです。
「彼を許してあげて」。彼が悪いかもしれないけれど。
私たちは、よくそんな風にアドバイスします。
でも、そう言われても、そんなに簡単に許せませんよね。
彼を許そうと、彼の気持ちをあれこれ想像しては、ひょっとして自分が仕事で忙しくてあまり彼のことを構ってあげられなかったから彼が寂しくなっちゃったのだろうか、などなど思いをめぐらしていると今度は自分のことが「許せない!」気持ちになってきます。
自分が受け容れたくないことが起きてしまったとき、私たちは相手を責めますが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、自分のことを「許せない!」と責めています。
「彼に『許せない』ようなことをさせた自分はもっと『許せない』!」と言わんばかり。
そして、彼に対しておしおきしたくてもおしおきできない分まで、自分をこらしめ、自分が二度と同じ失敗をしないようにと目を光らせるのです。
「許す」ことは思い込みを「手放す」こと
よく「許し」は人のためならず、などと言います。それは、「彼」を「許す」ことが、実際には、「自分」を「許す」ことにつながるからです。
そして「自分」を「許す」ことは、自分が傷ついたこと、自分が「失敗」と思うようなことを経験してしまったことを「許す」ことになります。自分が思い描いたような人生にできていない自分を許してあげることです。
私たちは、「傷ついた!」と思うと、二度と傷つかないためのルールを自分に課すようです。仕事で一生懸命になっている間に彼に浮気をされちゃったと思うと、二度と浮気をされたくないという想いから仕事に一生懸命になれなくなることもありますね。そんなときは、仕事に一生懸命になっているあなたを応援できなかった彼を許せない以上に、仕事に一生懸命になった自分を許せないのです。
そんな「自分」を「許す」ことは、「仕事に一生懸命になる」ことを自分に許すことにもなるし、彼が「仕事に一生懸命なあなた」をもう一度愛する可能性に道を開くことでもあるし、彼以外の人が「仕事に一生懸命なあなた」を愛することにつながることもあります。
「自分」を「許す」ことは、「こうするとこうなる」という思い込みを手放すことともいえます。「自分」を傷つきから自由にすることで、人生の可能性が広がります。選択肢が増えます。
「許し」上手は、「自由」を知っています。
相手と自分を許すたびごとに、感じ方も考え方も、行動も自由になっていくことを知っています。
居心地のいいパートナーシップを作るために、彼に対して怒っているところをちょっぴり許してみませんか?
ハートがふわっと軽くなる感じの心地良さを味わえたら、また少し、彼のことも自分のことも好きになれそうな気がします。
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