みなさん、こんにちは!カウンセリングサービス
の大野愛子
です。
木曜日は「不倫と浮気」をテーマに、大門昌代・大塚統子と共にお送りしております。今週は、大野が担当させて頂きます。
前回に引き続き、「今だから話せる、わたしの過去の恋愛」のお話です。
(前回分はこちら>>>彼を選んだ理由
)
わたしは、いわゆるだめんず君とお付き合いした経験があります。
彼を選ぶには、選ぶだけの理由がわたしにもあったのです。
(※今回のだめんず君は、無職・転職を繰り返す、お金がない・浪費、女性に依存する、という意味で書いております。)
だめんずなD君とお付き合いする一年前、わたしは仕事も遊びも一生懸命でクールで自立的なA君に失恋をしました。
お付き合いが長くなるにつれてますます仕事優先になっていくA君とのお付き合いでは、かなりさみしい思いもしました。
でも彼は、わたしの理想の人でした。
A君に、学歴や収入が特別にあったわけではないんですよ。
考え方とか、生きざまとか。何にでも頑張る姿とか、ストイックなところとか。そういうところが理想的でしたし、尊敬していました。
A君に愛されるため、当時のわたしは仕事も自分磨きもかなり頑張ったのですが・・・。「一人になりたいんだ。」というA君の言葉で、この恋は終わったのでした。
※ ※ ※
自立的なA君の「一人になりたいんだ」という言葉。
ふられた当時は、全く「意味が分からん・・・」という状態でした。
さみしいとか、会いたいと言って彼を困らせたことも、もちろんありました。
そのたびに、彼が「仕事なんだ。分かってくれよ。」と辛そうな顔で言うんです。
だから、わたしは「一人でも大丈夫になろう!」と頑張ってきました。
嫌われたくなかったから。
ワガママは言わない。さみしいとか言わない。仕事は仕事。感情的にならない。これが、わたしが自分で作り上げた「A君にふさわしいオンナ像」でしたから、頑張りました。
「困らせてもいないし、じゅうぶん一人にもしてあげているのに。」
「これ以上一人になりたいって?もう意味が分からない。」
そういう状態でした。
自分を待っている人がいる。
待たせている人がいる。
当時の彼には、それすら背負いきれない荷物だったのでしょう。
※ ※ ※
そして、その後に出逢っただめんずのD君。
当時のD君は仕事が続かず、安定した生活はとても望めそうにありませんでした。嫉妬心が強く束縛のきついD君とのお付き合いは、正直、すぐ息苦しくなったのも事実です。
すぐに弱音を吐くし、甘えてくるし、依存的。
あのA君とは全く正反対なD君に、わたしはイライラする毎日でした。
でも、A君とD君のお付き合いで、明らかに異なることがひとつ、ありました。
“自分が必要とされている実感”
これは、A君にはなく、D君とのお付き合いの中にはあったものです。
自分が必要とされている実感は、すぐに、“彼はわたしがいなきゃダメなの”に変わりました。
まるで母親のようにかいがいしく、D君の面倒をみたり、励ましたり。
彼が、せっかく見つけた仕事を辞めてきてしまうことが何回もありましたが、ますます「わたしが側にいなきゃ」という思いが強まりました。
家族の中に居場所をもてなかったわたしが、初めて感じられた必要とされている実感。
少し前に母親という大きな存在を亡くし、自分だけに愛情を注いでくれる存在を求めていた彼。
お互いにニーズ(欲求)が一致しているのですから、ケンカが多くなり、ひどい言葉を言い合うようになっても、それでも一緒に居るのです。
※ ※ ※
どうしてもA君と比べてしまう。
離れたいのに離れられない。
当時のわたしには、そんな感覚がありました。
でも、A君では得られなかった“つねに側にいてくれる”という安心感。
でも、嫉妬や束縛という形でさえも、“愛されているという実感がある”という安堵感。
それが、なかなか離れることが出来なかった理由です。
そして、もうひとつ。
D君の前では、わたしはかなり感情的なオンナでした。
A君の前では決して見せなかった、わたしの感情的な部分。
言いたいことを言う自分、それが怒りという形であっても言ってしまう自分。
どこかにD君が自分から離れていかないだろうという確信のようなものがあり、A君には見せなかった“良い子ではない自分”を出せたのです。
(それが、我慢が限界になった末の爆発的な感情表現であろうとも。)
D君がダメな部分をさらけ出した度合いだけ、わたしもダメな部分をさらけ出せる。心理学的に見れば、彼を使って、自分の抑圧していた感情を解放していた、とも言えるのです。
わたしの中にも弱い部分や甘えたい部分がありましたが、A君とのお付き合いでは長いこと、それを封印してきました。
その反動たるものは、そんな形で解放されていたのです。
※ ※ ※
わたしのような恋愛をしている方が、もしいるのならば・・。
忍耐や犠牲という形で愛を与えることには慣れているかもしれないけれど。
自分の中の弱さ、素直さ、本当は頼りたい気持ちを、もう少し周りの人に表現をしても良いのかもしれません。
そして、本当は、自分の与える愛情にもっと自信をもって良いのだと思います。
あれほど、「わたしがいなければダメなんだろう」と思っていたD君ですが・・。
わたしが、別れを告げた時には、すんなり「分かった。」とひと言だけでした。
D君とお付き合いしたのは、2年ほどです。
別れを告げた時も、彼の仕事が上手くいくようになったわけでもない時期です。
彼の中にも、実は“強さ”はあったんです。
心配ばかりをしていたから、あの当時のわたしには見えなかった部分なのですが、“心配をし過ぎると信頼が出来なくなる”のです。
(ゆえに、過剰に世話をやき過ぎてしまうんですね。自分で出来るかもしれないのに。)
離れたいけれど、離れられない。
そんな時に、自己破壊的なパターンとして、自分から浮気相手を作って無理やりにでも離れるという手段もあります。
当時、そんな考えが、わたしの頭をよぎらなかったかと言えば嘘になります。
どんな関係であろうと、それでも誰かといる方がいい。
確かに、そんな気持ちもありました。
でも、彼もひとり。わたしもひとりになる。
彼の「分かった。」というひと言は、もう一度、わたしに一人になる勇気をくれたことも事実です。
彼が最後に見せてくれた強さ。それは、もともと彼がもっていたものだったのでしょう。
必ずしも、だめんす君だから別れの結末になるわけではありません。
信頼して手放すことも、我慢や犠牲という形ではない愛の与え方もあるのだろうというお話です。
参考になりましたら幸いです。
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◆大野愛子のプロフィール
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