こんばんは。
カウンセラーの平です。
日曜日の恋愛心理学を原カウンセラーと隔週で担当しています。
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毎日、いろいろな出来事が起こりますが、その出来事に私たちは自分なりの意味づけをしています。そして、その意味づけの仕方により、幸福にも不幸にもなるといわれています。
もう少し専門的にいうと、あなたがそれぞれの出来事をどのように解釈し・判断するかということです。
それを幸せな出来事にするのも、不幸な出来事にするのもあなたの解釈次第であるわけですが、その解釈の仕方は、あなたが自分をどのような存在だと認識しているかによって大きく異なってくるといわれます。
たとえば、罪悪感とは「自分は罰せられるにふさわしい」と思う自己概念のことですが、この思いが強い人は、さまざまな出来事をまるで自分の与えられた罰のシンボルであるかのように捉えます。そして、その出来事に関わった人を恨んだり、憎んだり、いやな感情を感じたりするわけです。
一方、愛がベースにある自己概念、つまり「自分は愛されるにふさわしい」という思いをもっている人は、それぞれの出来事を自分にとって“良きもの”と捉えます。ですから、その出来事に関わった人々を好意的に見たり、その出来事からとてもいい気分を感じることができるわけです。
先日、私は宿泊していたホテルで、いつものようにいつものマッサージ師さんを指名で頼みました。電話をしたのが夜のたしか10時半ごろで、マッサージ師さんが来られるのは11時15分だと言われました。
睡眠薬代わりにマッサージを受けながら寝たい私は、寝る準備を完ぺきにして、11時15分、マッサージ師さんをお出迎えしたわけです。
しかし、ドアを開けてみると、そこにはいつもとは違うマッサージ師さんが立っておられました。どうも、フロントからうまく連絡が伝わらなかったようで、私の指名したマッサージ師さんは違うお部屋に行かれたそうなのです。
で、フロントの人曰く、1時間待たないと、私の指名のマッサージ師さんのマッサージは受けられないとのこと‥‥。
気分としては、「なんでなんだよーー、あれだけちゃんと言ったのに! いますぐよこせよ、おれの部屋に! おまえらが間違いをしたんじゃねぇか!」とダダをこねたいところですよね。
しかしながら、大声を上げたところで、ほかの部屋でほかのお客様を揉んでいらっしゃるであろうそのマッサージ師さんが、そちらのマッサージをやめ、すぐにうちの部屋に来られるはずはありません。
第一、仮に私が大暴れでもして、どうしようもなくなったホテルの人が、そのマッサージさんがすぐに私の部屋に来るように手配してくれたとしても、みんながいやな思いをするばかりで、私も気持ちよく眠れるはずがありません。
そこで、私はこう考えるわけです。「きょうはもう1時間、自分の気分がよくなるようななにかを私はせねばならないようだ。1時間という人生を楽しむ時間をもらったということだ。さて、なにをしよう?」
このとき、もしも、私が自分は罰せられるのにふさわしいと思っていたとしたら、この出来事のことも私の人生に与えられた罰であるのように感じることでしょう。そう、「おまえの思うようにはいかないんだぞ、フフフ」と、まるで神様からあっかんべをされたような気分になるわけですね。
しかし、愛をもってこの出来事を見ることができたなら、「ちょっと待ちなさいよ、平さん。いますぐ寝るより、もう1時間、なにかをしてからマッサージを受けたほうが、きょうという一日がもっと最高になりますよ。フフフ」と言われているように感じることができるわけです。
すると、「じゃ、この1時間、なにをして過ごそう」とウキウキする自分も作れるわけです。
その後、私はトランクに詰め込んでいたバブを2個浴槽に入れるという贅沢をし、鼻唄を歌いながら入浴タイムを楽しみました(私は朝風呂派なので、ふだん、夜はあまり入らない)。
その結果、とても有意義な時間を過ごし、1時間後、平謝りでやってきたマッサージ師さんにも、この1時間を気分よく過ごしたことを伝えることができました。
しかも、入浴効果か、筋肉がほぐれてマッサージもしやすかったようで、いつも以上に深く揉みほぐされ、一晩眠ったあとは、とても気分のよい朝を迎えることができたのです。
あなたの人生には、あなたの考える良いことや、あなたの考える悪いことが次々と起こります。
そして、あなたが悪いと思うことが起きたときにも、「この出来事は私にとって、じつは良きことだったとしたら‥‥」と考えることができたなら、自分やだれかを責める代わりに、きっとクリエイティブな発想があなたの中に入ってくるでしょうね。
私は28歳で銀行員を辞め、そのときは失意のどん底にありました。が、このときに銀行員を辞めなかったとしたら(私が辞めた銀行は、のちに日本で最初に倒産した銀行になったのですが)、自分で天職だと思えるカウンセラーの仕事に就くこともなかったでしょう。
プロセスを信頼する。
あなたという存在は愛されるにふさわしいがゆえ、あなたの上に起こるすべてのことは、あなたにとって良きことなのですよ。
プロセスとは言い換えれば、「この出来事から一体なにを学び、どうバージョンアップするんだろう?」という考え方なのです。
この考え方を、あなたもぜひ一度、お試しあれ。
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